不登校の「解決請負人」にならない
ここ最近、図書館で不登校関連の本をよく読み込んでいるのですが、先日読んだ本のなかに興味深い一節がありました。
子どもたちとかかわる時に「解決請負人にならない」と言ってきたが、たとえばある女子が友人関係のトラブルなどで相談にくることがある。一通り話を聞いた後で「僕はどうしたらいいんや?」と子どもに聞く。多くの場合、子どもたちは「何もしていらん」と言う。「何もしていらんのか?」とこちらは多少拍子抜けするが、「聞いてくれてありがとう」と帰っていく。
- 作者: 春日井敏之
- 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
- 発売日: 2008/12
- メディア: 単行本
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この本の著者、春日井先生は現在立命館大学の教授で、かつては中学校教諭をされながら京都府南部エリアで不登校教育を実践されてきた方です。ちなみに今日も春日井先生の本を一冊図書館で借りてきました。
この「解決請負人にならない」という姿勢は、不登校の子どもたちや親御さんと関わる上でとても重要だと思うのです。
そもそも、不登校という問題はひとりで解決することなんてできない
僕は不登校対応というのはパスサッカーだと思っています。
当事者が抱える悩みを誰かにパスする。そのときに、パスを出せる選択肢が幅広いほど悩みが解決できるチャンスは広がる。それはゴールを決めるためにパスを細かく繋いだり、ときにはロングボールで遠くの味方にパスを繋いだりするサッカーのそれと似通っています。
いま、こうしてブログや各媒体、講演などで僕の不登校に対する思い、情報を発信していますが、僕自身も何が何でも不登校を解決するぞ、という思いで情報を発信しているわけではありません。不登校の理由は千差万別なので、あらゆるケースに対応することは難しいものです。
でも、ひとつだけ心がけていることがあります。
それが「ただ話を聞く」こと。このあたりのことは先日の記事でも書きました。
話を聞くだけでいいのです。目の前の子ども、親御さんが困っている、自分がなんとかしなきゃいけない、何が何でも解決しなきゃいけない、という概念を捨てるのです。もちろん、アドバイスを求められたら別ですが、そもそも話す前提の場合、アドバイスを求めていないこともあります。
とにかく、話を聞いてほしい。ただそれだけで救われることも、あります。むしろ、闇雲にアドバイスを送ると逆効果になってしまうことさえあるのです。
そして、専門知識がなくても、話を聞く姿勢というのは誰にでも取ることができます。専門家に何かを求めるならまだしも、相手が愚痴や悩みをこぼしたときに、何も背伸びしてかっこいいことを言う必要なんて、どこにもないのです。
無理に話を引き出すことも良くないですが、子どもたちが悩みや窮状を話しだしたときは「何が何でも解決してやりたい」という気持ちをまずは置いておくことが、案外悩みを解決する近道なのかもしれません。