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不登校経験者のおぼえがき

不登校経験者のNPOスタッフが不登校についていろいろ書くブログ

不登校の「解決請負人」にならない

ここ最近、図書館で不登校関連の本をよく読み込んでいるのですが、先日読んだ本のなかに興味深い一節がありました。

子どもたちとかかわる時に「解決請負人にならない」と言ってきたが、たとえばある女子が友人関係のトラブルなどで相談にくることがある。一通り話を聞いた後で「僕はどうしたらいいんや?」と子どもに聞く。多くの場合、子どもたちは「何もしていらん」と言う。「何もしていらんのか?」とこちらは多少拍子抜けするが、「聞いてくれてありがとう」と帰っていく。

引用:春日井敏之「思春期のゆらぎと不登校支援―子ども・親・教師のつながり方」ミネルヴァ書房 P259

思春期のゆらぎと不登校支援―子ども・親・教師のつながり方

思春期のゆらぎと不登校支援―子ども・親・教師のつながり方

この本の著者、春日井先生は現在立命館大学の教授で、かつては中学校教諭をされながら京都府南部エリアで不登校教育を実践されてきた方です。ちなみに今日も春日井先生の本を一冊図書館で借りてきました。

この「解決請負人にならない」という姿勢は、不登校の子どもたちや親御さんと関わる上でとても重要だと思うのです。
 

そもそも、不登校という問題はひとりで解決することなんてできない

僕は不登校対応というのはパスサッカーだと思っています。

当事者が抱える悩みを誰かにパスする。そのときに、パスを出せる選択肢が幅広いほど悩みが解決できるチャンスは広がる。それはゴールを決めるためにパスを細かく繋いだり、ときにはロングボールで遠くの味方にパスを繋いだりするサッカーのそれと似通っています。

いま、こうしてブログや各媒体、講演などで僕の不登校に対する思い、情報を発信していますが、僕自身も何が何でも不登校を解決するぞ、という思いで情報を発信しているわけではありません。不登校の理由は千差万別なので、あらゆるケースに対応することは難しいものです。

でも、ひとつだけ心がけていることがあります。

それが「ただ話を聞く」こと。このあたりのことは先日の記事でも書きました。

話を聞くだけでいいのです。目の前の子ども、親御さんが困っている、自分がなんとかしなきゃいけない、何が何でも解決しなきゃいけない、という概念を捨てるのです。もちろん、アドバイスを求められたら別ですが、そもそも話す前提の場合、アドバイスを求めていないこともあります。

とにかく、話を聞いてほしい。ただそれだけで救われることも、あります。むしろ、闇雲にアドバイスを送ると逆効果になってしまうことさえあるのです。

そして、専門知識がなくても、話を聞く姿勢というのは誰にでも取ることができます。専門家に何かを求めるならまだしも、相手が愚痴や悩みをこぼしたときに、何も背伸びしてかっこいいことを言う必要なんて、どこにもないのです。

無理に話を引き出すことも良くないですが、子どもたちが悩みや窮状を話しだしたときは「何が何でも解決してやりたい」という気持ちをまずは置いておくことが、案外悩みを解決する近道なのかもしれません。

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不登校の子どもは、親の顔をよく見ている

久しぶりに母校(高校)の先生とゆっくりお話することがありました。

近況を尋ねると「オレの授業、生徒に『先生が一番授業楽しんでる』ってよく言われんねんなー」とのこと。いや、でもそれすごく重要なことですよー、とそこから生徒との関わり方の話に展開していきました。

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最近ものすごく痛感するのは、こちらがつまらなさそうにしていると、同様に子どもたちもつまらなさそうにするということ。そこで小中高生と関わるときに、自らも楽しむということをすごく意識するようになりました。すると自然と子どもたちもその場を楽しみ始めるんですね。

先日、小学生向けに「紙飛行機で的当てをする」ワークショップをしたときのこと。

僕は小学生といっしょにワークへ入る役割を担当し、子どもたちの輪に入って紙飛行機を折るところからスタートしました。そこでも子どもたちに気を配りながら「自分も楽しむ」ことを心掛けていると、失敗するとともに悔しがり、成功すればともに喜び合う関係性ができはじめました。

おそらく僕が暗い顔をして紙飛行機を折っていたら、子どもたちも近づきにくく、淡々としたつまらないワークショップになっていただろうと思います。そういえば、以前お会いした不登校の子向けの居場所づくりスタッフの方も、自ら積極的に輪に飛び込んで全力で遊ぶ姿が印象的でした。

小学生に限らず中高生のワークの進行なども、立場と中身を考慮する必要はありますがやはり「自分がその場を楽しむ」ことを軸に組み立てています。ときにいっしょに笑い、ときに一緒に悩む。そしてアイスブレイクは全力で楽しむ。つまらなそうにしていれば、中高生も戸惑います。

こういうところから、緊張感を隠しきれない中高生を解きほぐすようにしています。

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そして、これは不登校の家庭でも同じ。

なにもワッハッハ、と常に大笑いする必要はありません。ただ、暗い顔をしていたり、つまらなさそうにすることを止めるだけで、家庭のムードが少し変わります。

不登校の子どもたちは、親の顔をよく見ています。びっくりするくらいよく見ています。

お母さんがまたため息をついた。もしかして、私が学校を休んだからため息をついたのかな、またお母さんを追い詰めてしまった、ものすごく迷惑をかけている・・・。

こうして、不登校の子は自分を責め続けます。あんまり追い詰めちゃいけない、親の期待に答えなくちゃいけない、と無理ぐり学校に行こうとして余計に苦しんでしまうことも、よくあります。そして、暗い顔をする親を見て、子どもは自分の思い、悩みを飲み込みます。

もちろん、我が子が不登校になった、自分の育て方が悪かったのでは・・・と親が自分を責める気持ちもよくわかります。しかしその裏で子どももまた「自分が学校に行かないことでお母さんが暗い顔をしている」と、自分で自分を強く責め続けています。

だからこそ、家庭でも暗い顔をせずに優しい笑顔で接することで、不登校の子も救われるのです。

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その行動、子どもは迷惑しているかも。―不登校だった僕が進路で親と揉めた話

大人って、すぐ事を大きくしようとするから信用できひん。

この間とあるワークショップに参加したときの中学生の言葉。これを聞いて、僕は思わず後頭部を鈍器で殴られたような衝撃を身に覚えました。

子どもの言い分としては、純粋にただ話を聞いてほしい。それだけで解決する問題なのに、話の中身だけを捉えた大人は早合点して、関係各所に連絡を取ったりクレームをつけたりする。それが嫌やねん、ということを話してくれました。

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黙って話を聞く。

これができない大人は、教育関係なくものすっごく多いです。

たとえば大事な相談をする相手が、こちらの話もよく聞かずにトンチンカンな意見を出したり、話を遮って何かを否定してきたとしたら、話す側も話す気力がなくなってしまいますよね。子どもの話に耳を傾けるのも、これと一緒です。

僕が中学受験を控えるころ、行事で久しぶりに登校したときに副担任にこんなことを言われました。ちなみに、この副担任は進学関係にめっぽう強いと校内でも信頼されていた先生。

○○くん(僕)、××高校ってところがあってね。ここならフリースクールみたいに自由な校風だから○○くんにすごく合うと思う

家に帰ってこのことを親に報告しました。ただ僕は、「副担任の先生がこういうフリースクールみたいな学校があることを教えてくれた」のを告げたまでです。別にその学校に対してそのとき興味はありませんでしたし、そこに怒りも嬉しい感情も何もありませんでした。

しかし、親の反応はまったく予想すらしていないものでした。

うちの子になんて学校を紹介するんだ!と、すぐに電話機に手をかけ学校にクレームをつけようとしたのです。

僕は泣きながらその行動を止めました。だって1mmも望んでいない行動だったから。

副担任も別に僕を小バカにしていたわけじゃなくて、「これまでの実績や経験からベストな選択をしてほしい」とその言葉に悪気がないことは十分理解していました。というか、その分野に関してはよっぽど親より副担任のほうが精通している分野でもあります。

ただ、「ぜんぜん知らなかったけどこんな高校もあるんだって」という僕の気持ちはまったく受け取ってもらえず、鬼気迫る勢いで電話に手をかけた親に僕は恐怖心を抱き、必死になって親を止めました。正直、ものすごく迷惑だったのは書くまでもありません。

余談ですがその日は僕の誕生日で、本当に後味悪いものになってしまったのを今でもよく覚えています。

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時として、我が子を守りたいがための親の行動は、かえって仇となることがあります。

なぜなら、その行動を子は待っていないから。

子どもは何も求めていないにも関わらず、良かれと思って取った親の行動は、子どもにとっては迷惑も迷惑な訳です。もちろん、それで子どもが救われることもありますが、一歩間違えれば親への信頼を子が失ってしまうことにつながります。

そのためには、自分の思い、はやる気持ちをどうにか鎮めて、ただ目の前の我が子の一言一言に耳を傾ける。

冷静な気持ちがあれば、子に対して何をすべきか、何を求めているかを分析して実行に移すことができます。それが、目の前で悩み苦しむ子どもたちを救う一番の近道だと思います。

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